先日、当社の分譲地、甲賀市水口町名坂13区画と湖南市柑子袋10区画をお知らせするのぼりが納品され、設置いたしました。
’のぼり’街中で見かけますよね。
ちょっと気になってしまい、調べてみました。
先日、当社の分譲地、甲賀市水口町名坂13区画と湖南市柑子袋10区画をお知らせするのぼりが納品され、設置いたしました。
’のぼり’街中で見かけますよね。
ちょっと気になってしまい、調べてみました。
のぼりは日本育ちでありますが、元々は現在、中国と呼ばれている魏の国から、卑弥呼が治める邪馬台国へ向けて贈られた戦い用の旗が、起源だと言われているそうです。
のぼりが歴史上、最初に脚光を浴び多く用いられたのは、戦国時代にだそうです。
この時、旗印と呼ばれたプリントを施され、のぼりは馬上の風となっていました。
この旗印とは、現在でいう所の宣伝告知やサービスアピールをする幟に該当し、自分が所属している軍はここです!と言うはっきりした目印でした。
それは敵にも味方にも情報を発信し、加勢したり加勢されたり、知らせを届けたり届けられたりと言った具合に活動していたようです。
また陣地の周りを、のぼり旗で囲む事で、敵味方双方に簡単に分かり易く主張する事を可能とし、敵陣深く攻め入り、これを落とした際には、自軍の旗印を高く掲げ勝ち名乗りをあげる事で、全軍に勝利した事をシンプルに伝えると言う活用方法もあったそうです。
ちなみに、戦場では大将は常に「旗」の勢いで戦況の有利不利を判断していました。
「旗色が良い」「旗色が悪い」は戦意の昂揚や動揺を表し、戦況の動きを意味しました。
「旗を巻く」とは敗軍を意味しました。
「旗を挙げる」「旗を立てる」は戦う意思をしめし、転じて現代では事業を起こすような表現に使われています。
なるほど~というかんじですね。
のぼりは、危険と隣り合わせの世界で生きていたのですね~。
戦国時代が終わり、江戸幕府が誕生すると天下泰平の世の中が始まります。
ずいぶん長い間、小さないざこざはありましたが、平和な時代を日本は謳歌していました。
こうした時代、のぼりは現在の使われ方をする様になっていきます。
団子屋さんが、三色団子と描き込んで店先に立てかけたり、そばやうどん屋、お寿司屋さんなども、のぼりを活用するようになったようです。
また有名なのが、土用の丑の日。
鰻の蒲焼が流行らずに困っていた店主が、平賀源内に相談した事で始まったとされる、この日にも、のぼり旗は活用されていました。
こうした歴史が積み重なって、のぼりは現在の様な使われ方をしていると考えると、とても面白い物だなと感心したりします。
いろいろ調べてみましたら、とても興味深かったです。
では、当社のNEWのぼりをご覧ください。
事務所前に設置しています。
今後随時、お目見えすると思いますのでよろしくお願いします。
☆当社では、ご契約前にお客様にプレゼンさせていただく機会に、図面プランニング、ミニチュア作成も全て無料にてご提案させていただいております。お気軽にご相談ください。