ベストワークスの北村です。
いつもご覧いただきありがとうございます。
今日は住宅のお話を少し離れて、私たちベストワークスの地元、甲賀市水口町のお話をさせていただきます。

引用元:甲賀市観光ガイド
みなさん、水口城をご存じでしょうか?
ふとお客様と先日話させていただき「水口城」の話になりました。
あまりご存知でなく、またいただいたご質問に熱く語ってしまいました🤭
水口に住んでいると当たり前のように名前を聞きますが、改めて歴史を調べてみると、なかなか面白いお城なんです。
しかもこの水口という町、昔からかなり重要な場所でした。

水口は古くから交通の要衝でした。
戦国時代の1585年、豊臣秀吉の命によって中村一氏が築いたのが「水口岡山城」です。
現在の古城山にあった山城ですね。
この城は、豊臣政権が甲賀を直接支配するための拠点であり、東国を意識した重要な城でもありました。
その時の城主が長束正家。五奉行のひとりです。以外と水口城すごいでしょ!
その後、関ヶ原の戦いを経て水口岡山城は廃城となり、水口は徳川幕府の直轄地になります。
(これ以外とすごいんですよ。幕府の直轄と言う事はそれだけ重要な要所ということです。)
そして1601年には東海道の宿場町「水口宿」として整備されました。
ここから現在の水口城のお話です。

1634年。江戸幕府三代将軍、徳川家光が京都へ上洛することになりました。
そのとき、
「将軍様が水口を通られる。」
ということで、なんと家光の宿泊施設として新しく城を造ります。
それが現在の水口城です。
つまり水口城は、最初から戦争をするためにつくられた城ではなく、将軍を迎えるための特別な宿館だったんですね。
しかも幕府直営の工事。
作事奉行を務めたのが、建築や庭園、茶道でも有名な小堀遠州。小堀遠州は千利休の弟子の1人になります。
水口町にある大地寺の枯山水の庭を作った茶人あります。
城の構成は京都の二条城を小型化したようなものだったとされ、工事には延べ10万人の大工が投入されたと伝えられています。
いやいや……一泊するだけですよね?🤭
ところが、その家光が将軍の宿として水口城を利用したのは、結局この一度だけだったそうです。また城ですが戦をしたことが1度もありません。
ある意味、ものすごく贅沢な「一泊のための建築」です。笑
その後、1682年に加藤明友が入城して水口藩が成立。
水口城は藩の居城となります。
水口城には「碧水城(へきすいじょう)」という美しい別名があります。(水口碧水ホールの名前の由来ですね)
湧水を利用した堀に青い水をたたえていたことから、加藤明友が名付けたとされています。
そして明治維新を迎えると水口城は廃城となり、建物や石垣の多くが失われました。

引用元:甲賀市観光ガイド
現在は本丸跡が水口高校の敷地として利用され、復元された櫓が水口城資料館になっています。
こうして歴史を見てみると、面白いですよね。
豊臣秀吉の時代には、水口岡山城。
徳川家康の時代には、東海道の宿場町。
そして徳川家光の時代には、将軍を迎える水口城。
水口という場所は、昔から「人が通り、人を迎える町」だったんです。
普段何気なく車で走っている水口の町にも、400年以上前の人たちが歩き、暮らし、城を築いた歴史があります。
私たちは今、その歴史の続きを同じ水口で生きています。
そして私たちベストワークスも、この水口を中心に家をつくっています。
城と住宅を一緒にしたら怒られそうですが(笑)、建築というものは完成した瞬間だけのものではありません。
10年、20年、50年。
そこに建ち続けることで、その町の風景になっていきます。
建築は、町の歴史の一部になる。
水口城を調べながら、そんなことを改めて感じました。
400年後まで残るとは言いませんが🤭
せめて私たちがつくった家を見て、
「この家、やっぱりいいな。」
そう言っていただける建築を、水口の町に一つでも多く残していきたいですね。
昔の人がつくった水口を、今の私たちが受け継ぎ、次の世代へ。
家づくりも、町づくりのひとつです。
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東近江市東今崎町『イエリゾート』住宅見学会
所 在 地 滋賀県東近江市東今崎町2番31-7号
東近江市東今崎町『イエリゾート』
開催日時 令和8年10月3日(土) ・ 10月4日(日)
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