いつもありがとうございます。
ベストワークスの北村です。

先日、お打ち合わせのなか、お客様から嬉しいお声掛けをいただきました。
「社長、いつもブログ見ていますよ!」
本当にありがたいですね🤭
そのお客様から、こんなご質問もいただきました。
「以前、水口城の歴史についてブログを書かれていましたよね。社長は歴史がお好きなんですか?好きな侍(武将のことと思います)はいるんですか?
そうなんですよ!歴史も好きで好きな武将もいます。
特に、応仁の乱以降の戦国時代の歴史には、昔から強い興味があります。
男性の方でしたら、戦国武将や戦国時代がお好きな方も多いのではないでしょうか。
ここで少し。
私が歴史を好きになったきっかけは、実はものすごくチープなものなんです(笑)
以前のブログでも少しお話ししましたが、私が子どもの頃、北村家にはテレビがありませんでした。
当然、私が小学生の頃に発売された家庭用ゲーム機「ファミコン」なんて、あるはずもありません。
ところが、近所の友人の家には、テレビもファミコンも、たくさんのゲームソフトもありました。
私にとっては夢のような場所です(笑)
「たかちゃん(友人)のところに行って勉強してくるわ!」
母にはそう言いながら、夏休みなどは友人の家でゲーム三昧🤭
勉強なんて、ほとんどしていなかったと思います(笑)
そんな私が、初めて夢中になったゲームがあります。
それが、
『信長の野望』
というゲームでした。

ご存じの方も多いと思います。
戦国時代を舞台にした、国盗りシミュレーションゲームです。
織田信長をはじめ、さまざまな戦国大名が登場し、領地を広げ、国を治め、天下統一を目指すゲームです。
これが本当に面白かった!
そこから戦国時代に興味を持ち、織田信長という人物に魅了され、さまざまな歴史書や文献を読むようになりました。
まさか、友人の家でこっそり遊んでいたゲームが、歴史を好きになるきっかけになるとは思いませんでしたね(笑)
人生、何がきっかけになるかわからないものです。

もちろんゲームの主人公は織田信長です。
そこで好きな武将がたくさんいるのですが、特に織田信長ことに興味を置くようになりました。

そんな織田信長ですが、彼を語るうえで非常に有名な言葉があります。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」
皆さんも一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。
これも先日お客様からいただいた質問なのですが、北村さんの座右の銘はなんですか?の回答の1つにもなると思います。
これは、織田信長が好んで舞ったと伝えられる、幸若舞(こうわかまい)の『敦盛(あつもり)』という演目の一節です。
私も昔から、この言葉が大好きなんです。
ただ、この言葉には、一般的に知られている意味とは少し違う、深い思想が込められています。
今日は少しだけ、そのお話をさせてください。

人間五十年とは、どういう意味なのか
まず、有名な一節をご紹介します。
人間五十年
下天の内をくらぶれば
夢幻の如くなり
一度生を享け
滅せぬもののあるべきか
現代の言葉に置き換えると、
「人間の一生など、天上世界の時間と比べれば、ほんの一瞬の夢や幻のようなもの。
この世に生まれた以上、いつか滅びないものなど存在するだろうか」
という意味になります。
ここで、少し誤解されやすいことがあります。
「人間五十年」と聞くと、昔の人の寿命は50歳くらいだったのだろうと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、本来はそういう意味ではありません。
仏教の世界観では、人間の世界と天上の世界では、時間の流れが異なると考えられています。
人間にとっての50年という長い年月も、天上の世界から見れば、ほんのわずかな時間にすぎない。
つまり、
「人間の一生など、長い時間の流れの中では、ほんの一瞬でしかない」
ということなんですね。
どれだけ大きな財産を持っていても、
どれだけ強大な権力を手に入れても、
どれだけ素晴らしい人生を送っていても、
人間はいつか必ず死を迎えます。
必ず最後には誰もが同じ終わりに収束します。
それが、人間の宿命なんですね。

なぜ信長は『敦盛』を舞ったのか
そもそも『敦盛』とは、どのようなお話なのでしょうか。
時代は1184年。
源平合戦の一ノ谷の戦いにさかのぼります。
源氏の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)は、平家の若武者、平敦盛(たいらのあつもり)を討ち取ります。
しかし、敦盛はまだ16〜17歳ほどの少年でした。
自分の息子と同じくらいの年齢の若者を討ち取った熊谷は、深い悲しみを覚えます。
敵であっても、同じ人間。
勝者であっても、敗者であっても、命には必ず終わりがある。
そんな人生の無常を描いた物語が『敦盛』です。
そして、この物語を題材にした幸若舞を、織田信長は好んでいたと伝えられています。

桶狭間の戦いと織田信長
1560年。
歴史に残る「桶狭間の戦い」が起こります。
当時26歳の織田信長は、圧倒的な兵力を持つ今川義元の軍勢と戦うことになります。
戦力差は歴然。
普通に考えれば、勝利することは極めて難しい戦いでした。
負ければ、自分の命だけでなく、織田家そのものが滅びるかもしれない。
そんな状況です。
ところが、出陣の朝、信長は『敦盛』を舞ったと伝えられています。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」
舞い終えた信長は、出陣の準備を命じ、戦場へと向かいます。
そして、歴史に残る大勝利を収めるのです。
私は、この場面に信長という人物の生き方が表れているように感じます。
人間は、いつか必ず死ぬ。
それならば、死ぬことを恐れて何もしないよりも、自分の信じた道を進む。
もちろん、信長自身が実際にどのような思いで舞っていたのかは、本人にしかわかりません。

人生の価値は、長さでは決まらない
ここからは、私なりの解釈です。
私は、織田信長という人物は、人生をどれだけ長く生きるかよりも、限られた人生の中で何を成し遂げるかを大切にしていたのではないかと思っています。
人生が50年でも、
80年でも、
100年でも、
人間は永遠に生きられるわけではありません。
どれだけ成功しても、どれだけ財産を築いても、いつかは必ず人生の終わりが訪れます。
しかし、人が生み出した価値や思想は、その人が亡くなった後も残ることがあります。
織田信長は、天下統一を目前にした1582年、本能寺の変によって49歳で生涯を閉じました。
志半ばでの最期でした。
それでも、約450年が経過した現代においても、信長の名前は語り継がれています。
彼の生き方や考え方は、今なお多くの人々を魅了しています。
なぜでしょうか。
私は、信長が限られた人生の中で、それほど大きなことを成し遂げたからだと思います。
人生の価値は、生きた年数だけで決まるものではない。
その人生で、何を考え、何を行動し、何を残したのか。
そこに、人間の生きる価値があるのではないでしょうか。

かなりいただいたご質問から私の解釈で深掘りしてしまいました笑
現在私は52歳
信長が本能寺の変で自刃したのは49歳
かなり遅れをとってますね笑笑笑
がんばります🤭
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